2008年5月11日日曜日

anime 徒然なるままに・・・

子供の頃からずーっとanimeを見てきた。
ここ数年の間に、昔のanimeが放映されることが増え、懐かしい気持ちとあの頃にあった出来事などが
一緒に蘇ってくる。

性格的に男の要素が多いため、robbot anime ・特撮anime・hero anime・ 戦隊animeなどを好んでみていた。

私にとってのanimeはなんだろう?

結婚してもしばらくは見ていたのだが(そろそろ卒業を・・・)なんて考え始め、見ることを中断していた時期があった。

気がつくと、なんとなく味気のない毎日が続き(もちろん日常は常に変化を続けていたが)一日が終わって布団の中で自分を振り返ったときに

色褪せてしまったような自分の心に気づいた。

何故そんなことを思うのか。animeは私に何をもたらしていたのか。

ためしに、ちょうどその頃新番組が始まったので自分の嗜好にマッチングしそうなタイトルをセレクトし録画。
何をチョイスしたのかはもう覚えていないが、間違いなくその後の私の心境の変化に好影響を与えたと今を持って断言したい。

あなたは自分の日常の中で、喜怒哀楽を%で表示したらどのように割りあうだろうか?

二通りある。
一つは他人から見たあなた。客観的に他の人が自分の表情を見てどう判断するだろうか?ということ。つまり、あなた自身顔は笑顔だが心中は怒っている事もあるだろう。でもあなたを知らない他の人はあなたが怒っているとわからない人のほうが多いはずなのだ。
もう一つはあなた自身が精神世界の中のあなたを客観的に判断するのだ。

この二つの%はかなりの確立でマッチングしないはず。本音と建前を使い分けることが出来ていれば当然の結果となる。

話を戻そう。animeが私にもたらしたもの、それは日頃あまり外には出せない感情をキャラクターを自分と重ねることで表出させ、結果ストレス解消へと導かれることだった。
特に怒りの表情は早々出来るものではない。人の目を逃れて出来たとしてもすぐに取り繕って笑顔を貼り付けなければならない。
押し込めた負の感情はどう昇華されるのか。

パンパンに膨らんだ風船がやがて萎むようにいつの間にか収まるであろうことが理解できていても、腹腸が煮えたぎるほどの怒りは表出したところで、解決するものではない。それなりの筋道を通して 納得できたとしても記憶の中に刻まれる。時間が経てば薄皮を剥ぐように薄れるかもしれない。

ただ主人公になりきって、怒りを表情や言葉で表現するだけで、行き場のなくなった負の感情はある程度は鎮火できる。もちろん、それは私の精神世界の中の話だ。つまり、冷静になるとか落ち着くとかそういうことになる。

お願いしたいのは、あなたには当てはまらないことだと解釈して欲しい。

各々、それぞれが独自のやり方で負の感情を昇華しているのだからそれについて、お互いにとやかく議論する必要はない。

最後に、最も私自身が気をつけている『現実とanimeの世界をはっきり区別する』こと。ボーダーラインをしっかり守って今日もアニメを見るのだ。

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